俺専用!FI-RE・セミリタイア日記

みんなで銀メダルの自由を獲得しよう!!

【スピ】「人生ですべきことは何もない」は本当か?【考察】


スピリチュアルにちょっとはまっていた時期があります。スピリチュアルでよく言われる、「人生にすべきことは何もない」というワードがあります。私もこの言葉を信じ、実証していきたいと思い、FIREしました。実際FIRE生活も1カ月たとうとしています。そんな折に、この言葉を思い出しました。この言葉が何を指すのだろうということで、自分なりに考えてみました。

 

FIREは銀メダルの自由⇒すべきことは何もない

 

私は、かねてからFIRE,セミリタイアは銀メダルの自由だと言ってきました。銀メダルの自由とは、「したくないことをしたくないだけしない自由」だと思っています。つまり、スピが教えている「すべきことは何もない」を、手に入れたのだと思っています。ですが、その先についてはスピは何も語っていません。スピは基本言いっぱなしなので、その後の解釈などは、自分で考える必要があります。

 

「すべきことは何もない」を食べ物に置き換えてみる

「すべきものなど何もない」だとあまりにも漠然としていますし、それを本当に地で行っていいのかどうなのか?この言葉を食べ物に置き換えましょう。

「食べてはいけないものなど何もない」

少しは具体的になったんじゃないでしょうか?そうですね。我々違法なものでもない限り、特段食べ物を禁止されているわけではありませんね。そうです。何食べてもいいんです。カップラーメンは禁止なんかされてないし、甘いものだってお酒だって何を飲み食いしても構いません。もちろんカップラーメンを毎日食べたっていいんです。

 

この言葉を真に受けて、本当に皆さんが毎日カップラーメンだけを食べ続けたとしましょう。どうなりますかね?別にカップラーメンに飽きたらハンバーガーでもいいですよ。

 

間違いなく体に良くないですよね。で、糖尿病や腎不全になってもまだこの言葉を真に受けて、食べたいものだけを食べ続けるとします。最終的に体を壊し、寿命を縮めます。

 

でも「食べてはいけないものなど何もない」は、やっぱり間違いではありません。この言葉をそのまま真に受けるとどういうこと結果になるかということは、把握しないといけません。

 

「したくないことはしない」を貫き通すと最後はセルフネグレクトになるのでは?

最近セルフネグレクトが話題になっています。自分で自分のことを放置するようになり、ヒゲをそらない、お風呂に入らない、食事をとらない、下の世話もしなくなるそうです。物はゴミで散らかり掃除もしません。こういう状態を我々は望むのでしょうか?

 

いいえ違います。それどころかこういう状態になった当人ですら、最初からこのようなことを望んでいなかったといいます。あることをきっかけに、日常のちょっとしたことが「やりたくない億劫なこと」に変わっていったのでしょう。

 

特に私のように誰とも会わなくても、誰とも話をしなくても寂しくならない。それでいて自己実現を放棄したとて全く問題にならない。とどこか本気で思っている人間の方があぶなそうです。一見FIRE適性が高いように思いますが、こういう私のような人間にも落とし穴はありそうです。一見すると自分を大事にしすぎているようにも思いますが、セルフネグレクトは立派な自傷行為なのだそうです。

 

遭難で生き残る確率が高い人は遭難先でも「普段通りの生活を心がけた人」

 

遭難で生き残る確率が高い人は、遭難した先でもなるべく「普段通りの生活を心がけた人」なのだそうです。必ずしも体力がある人ではないそうです。遭難しても例えばヒゲはちゃんと剃る、歯磨きをする(できなければ沢の水を使って口だけでもゆすぐ。いつも同じ時間に起きて寝るなど。もちろん、救助を求めないといけませんが。FIREは必ずしもサバイバルではありませんが、後ろ盾がない以上その要素も否定できませんからね。

 

昔読んだ本です。

 

「やりたいことをやりたくないことのバランスをとるのが賢明」

 

自由の不作為の側面ばかり追うのは、自分のためにならないことはご理解いただけたのではないかと思います。だからこそ、「やりたいこと」や欲も大事にして、「やりたくないこと、すべきこと」とのバランスをとっていくことが大事なのではないかなと思った次第でした。

 

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